今年も年末恒例となっているベートーベンの第九交響曲(合唱付き)の時期。
京都市交響楽団の演奏会も30年以上も前から続けられている「京都ミューズ」主催と、京響主催による演奏会の2回に減ってしまったのは大変残念でしたが、演奏は大変充実したものでした。
■日本での初演と戦争・平和
今から180年前に作曲された「第九」は、日本では1918年(大正7年)6月1日に,第一次世界大戦ドイツ兵捕虜収容所である徳島県鳴門市板東収容所において初演されました。オケの指揮をとったのはハンゼン軍楽兵曹。50人ほどのメンバー,80人くらいの合唱団という規模で,楽器も楽譜も不備が多く,ソロも合唱も全員男性という極めて変則的な演奏でした。この難解な曲をそれでもあえて演奏した理由は未だ謎ですが,彼らの平和への希求があったのではないでしょうか。日本人の手による全曲初演は1924年(大正13年)東京音楽学校で行われ,日本人の心を大きく揺さぶります。
1914年に始まった第一次大戦は日本に未曾有の好景気をもたらしますが,労働者や中間者層は物価が大暴騰する生活に苦しみ、労働争議が多発,好況の中での貧富の差の拡大に民衆は政治や社会の大きな矛盾を感じ,1918年の米騒動をきっかけに,労働運動、農民運動などの社会運動(大正デモクラシー)が開花した時期とも重なります。日本でも第九初演時の歴史には注目が必要です。
■ファシズム、オリンピックそしてEU統合への道とベートーベン「歓喜の歌」
1989年11月10日ベルリンの壁が崩壊し、12月には東西の楽団員による第九の演奏がバーンスタインの指揮で行われました。歓喜の歌の歌詞は「Freude(歓喜)」の代わりに「Freiheit(自由)」という言葉が使われベートーベンが当時の検閲を配慮して表現できなかった言葉で歌われました。そして、翌1990年10月3日統一ドイツ誕生記念祝賀祭典において第九が演奏されました。
この歴史は、その後の欧州連合(EU)結成へと引き継がれ、第九第4楽章の「歓喜の歌」が欧州連合(EU)憲法に欧州連合歌として規定されました。
また、1992年バルセロナオリンピック開会式の際終盤には,EU統合を歓迎して4分間の第九の演奏がありました。
オリンピックにおける第九演奏には、その前史ともいえる例があります。
1936年夏,ヒットラーはナチズムの宣伝と高揚のためベルリンオリンピック開催を誘致します。時同じく,王政の下での軍事独裁政治を打ち破りスペイン共和国を樹立した人民戦線政府は,これに先立つ民衆のオリンピック開催を決定し,かのパブロ・カザルス率いるカザルスオーケストラ&グラシア合唱団(勤労者で構成)が開会式に第九を演奏する予定でした。しかし、フランコ将軍の軍事クーデターにより中止。カザルスは「ファシズムのあるところに平和はない」と言ってプラドという寒村に亡命した。この国に再び平和が来る日が必ず来ると思う。その日にはもう一度第九を演奏しようと言った彼の言葉は脈々と受け継がれ,半世紀を経て実現しました。
■京都に響くベートーベン第九
第九に込められた自由,平等,平和を希求するベートーベンの思いは、京都でも脈々と受け継がれ、1972年,停戦を覆すアメリカの北爆に反対し,京都ミューズは,平和への祈りを込めて「ベトナム人民に送る千人の合唱による1万人の第九」を企画しました。大阪フィルハーモニー管弦楽団,外山雄三指揮,100人に満たない京都「第九をうたう会」に各地から応援が入り,府立体育館において,名実共に演奏者を含め参加者1万人の第九が成功しました。翌73年1月,アメリカはベトナムと和平協定を結びます。
京都コンサートホールに響いた二つの第九,イラクをはじめとした中東の平和を願い、地震と津波の被害にあった世界の人々に生きる自由と平等をもたらすことを願わずにはいられません。
(S.Y)