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2016年10月03日

市職労70年 温故知新③

全国身体障害者スポーツ大会
前例を覆した市職労の奮闘

市職労の主体性が輝いた

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 1988年10月に全国身体障害者スポーツ大会(身スポ)が京都市で開催されました。身スポは、東京オリンピックの年に開催されたパラリンピックを機会に、国体の付属事業として翌年から開催されていました。その付属性により、大会の主人公が障害者であるということを忘れているのではないかと思われる状況も生まれていました。障害者スポーツの理念でもある「その人格を全面的に発達させるための機会」としての障害者スポーツの振興と、障害者の社会参加の意義をもつ身スポ大会が、行政ベースの慣例・マンネリ的な運営のもとで、本来の目的・意義から逸脱し、「身体障害者以外の障害者が除外される」「日の丸・君が代の強制」「自衛隊の協力体制・宣伝」など、政治的利用も強まりました。
 市職労が、ボランティアを組織して、主体的に身スポにかかわることで、これまでの弱点や問題点を障害者要求実現の立場から、克服するための運動であったといえます。

自治体の責任を明確にした

 国体がもたらす自治体財政の圧迫や成績至上主義などの教育への介入、政治利用などの問題点をあきらかにさせるなかで、身スポの理解も広がりました。そのなかで、職員の労働条件などの課題にとどまらず、身スポについての学習会を立命館大学の芝田徳造さん(全国身体障害者スポーツ大会実行委員会副会長=当時)を講師に開催しました。
 芝田さんから「障害者が主人公の大会なのに、障害者は立って開会式に参加して、健常者である市長や知事の来賓や観客は座っている。いったい誰のための大会なのか。外国では開会式はイスに座るのが当たり前だ」という問題提起があり、市職労と一緒に議論を深め、それなら「大会で市職労がイス出しをしよう」ということになりました。
 京都市職労のなかでは、国体問題で青年部が平和問題と重ねて「日の丸、君が代の強制はおかしい」「ベトナム戦争で犠牲となったベトちゃん、ドクちゃん。戦争は障害者にとっても国民にとっても憎むべきこと」「戦争のための軍隊としての性格をもつ自衛隊の協力なしに障害者スポーツ大会が運営できないなんて矛盾してる」と活発な議論がされました。「自衛隊の手を借りずに、ボランティアで大会を成功させよう」と、市職労本部の対策委員会にも青年部が積極的に関わりました。
 労働戦線問題でゆれる微妙な時期でしたが、それでも中央執行委員会は全会一致で確認し、取り組むことになりました。
 身スポは、前年の沖縄大会で島ぐるみの運動により、民間ボランティアを広く組織して、自衛隊抜きの開催を実現させました。市職労は沖縄の運動に学んで、市当局だけでなく、府当局にも要求書を提出して、市民のための身スポを実現させるために、自治体が責任をもつことを訴えました。

 当時の市リハビリセンターの体育館で、「身スポ学習会」として「介助」など、ボランティアの具体的な研修を行いました。参加は300人を超え、関心の高さを示しました。
 そして大会当日には、業務として関わる職員に加え、1000人の市職労組合員がボランティアに参加しました。開会式と閉会式では大号令のもと、「忍者」のように駆け回り、約2000脚のイスがならび、初めて「座っての式典」が実現し、競技者にも喜ばれました。また、大会運営全てを通して組合員の奮闘で大きく貢献しました。
 閉会式では、歓喜のあまり、ボランティアの組合員がなだれ込み、選手たちと手を取り合って、会場は一体となって、輪になって盛り上がり、感動のフィナーレをむかえました。障害者とのつながりをつくった運動であるとともに、沖縄に続いて、京都でも自衛隊抜きで、市の職員だけでなく、市民からもボランティアを募って、一緒に大会を成功させることができたのです。また、イスの配置など、市職労の奮闘は、翌年の札幌大会へと続き、自治体が責任をもって運営していくという流れをつくりだしました。
 大会を成功させた要因はなにか。「住民の幸せなくして自治体労働者の幸福はない」の民主的自治体労働者論が労働組合をかたちづくり、「市民のための身スポ」の運動につながっていきました。
(編集部)