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2023年01月10日

【新年号特集・座談会】住民と直接関わる業務から見る公務労働者像

京都市の行財政改革計画は、職員削減や賃金カットとあわせて、市民の権利である福祉施策を削減しています。

本来、住民に一番近い行政機関である区役所の業務は矢継ぎ早に集約化されました。

2014年に市民税課、固定資産税課が集約、2017年に保健センターが解体されて、一部を福祉事務所と統合、他は集約。

2019年に納税課を集約。2020年には介護保険認定給付業務を集約して委託しました。

この時には、これまで業務を担ってきた130人の嘱託員が雇い止めされる事態となりました。

市民と直接かかわる業務が減らされ、住民の福祉や生活にかかわる制度や政策も後退している、その時に、住民がコロナ禍でどんな生活になっているのか、その姿をリアルに見ることができない状況は自治体として危機的です。

住民と直接かかわる業務から私たちの本来のあるべき働き方や自治体のあり方を深める座談会を開催しました。


行財政改革の矛盾の象徴 公衆衛生業務の後退

これまで京都市がすすめてきた行財政改革の矛盾が、一番顕著に現れたのが、保健所、公衆衛生行政をめぐる状況ですね。

一カ所に集約された保健所(医療衛生企画課)がひっ迫し、 他方で市民の健康や暮らしの危機、職員は長時間労働を強いられて命が脅かされる事態となりました。

 

私が就職した時は区役所と保健所と福祉事務所が別々にありました。

そのときは、地区担当制で、地域のなかで赤ちゃんから高齢者、障がいのある人すべての公衆衛生業務を担いました。

経験が浅くても、まわりには先輩の保健師がたくさんいて、相談もしやすい環境があり、自分のスキルも上げていくことができました。

それが保健センターになり、医者がいなくなり、センターが解体されて、感染症業務などが切り分けられ、福祉業務と一体になりました。

「京都市には公衆衛生行政はない」と実感します。福祉業務が主導になり予防ができていません。

コロナ禍で、200時間を超える時間外労働が発生しました。他都市で、地区担当制を維持して感染対応をした経験を聞くと、そこまで長時間労働はなかったと。それを聞いたときに、やっぱり集約化は間違っていたんだと確信した。

人の一生は区切れるものではありません。でも業務では子ども、高齢者、障がい者などと区切られます。

人が、地域に住み、暮らしていく。その過程に行政はかかわりますが、業務で区切ることの不自然さをすごく感じています。住民の一生に寄り添える仕事がしたいです。

 

住民と直接かかわる仕事でも、非正規化や委託化が進められている状況があります。

介護保険認定給付業務の集約化、雇い止めや、会計年度任用職員制度への変更の際、非正規雇用職員で働くみなさんが、「市民サービスが後退する」ということを強調されたことが印象的でした。

皆さんが果たしている業務の内容は正規であろうが、非正規であろうが関係なく、公務労働本来の、住民の福祉の向上という意味を持っていますよね。

 

保険料の滞納者は、複合的に税や保育料なども滞納していることがあります。

納税課が同じ庁舎内にあったときは、分納の状況や対応の詳細を聞いて、その人への対応の方向性を考えることができました。

他にも、介護保険との連携や、ときには生活保護へ繋げることも必要です。

面と向かって話すと、本当の困り事の内容が、服装、話し方などいろいろな情報から伝わってきます。きめ細かい対応は直接会って話さないとわかりません。

同時に、私たちは会計年度任用職員で、もしかしたら来年仕事がないかもしれないという危機感があります。市民の相談で「仕事をクビになって払えなくなった」と聞いたときに他人事ではなく、親身にならざるを得ないのです。

雇用不安や待遇の不安があるなかで、業務に就いています。

 

住民に寄り添う支援が働きがいに

ただ徴収すれば良いという仕事ではなくて、住民と直接かかわるなかで今の生活実態をしっかり掴んだ上で、どんなアプローチをすればいいのか、どんなケアが必要なのかという視点は大切ですね。

Bさんのお話とも重なるのは、「複合的な視点」の支援ですね。

 

厚労省が定めている生活保護のケースワーカーの適正な人員配置は、一人当たり80世帯と決められています。

実際、ぼくの職場では、一人当たり90世帯以上、多い人は100世帯以上を担当しています。厚労省の監査で、毎回、指摘がされているけれど改善されません。

ぼくが聞いた話では、新採職員の約5割がケースワーカーに従事しているそうです。

約5割の新採職員が配置されているにもかかわらず、入庁最初に適正な配置がされていない状況におかれるということ、多くの新採職員がそういう事態に直面していることを考えると、モチベーション的にも深刻だと感じます。

本当はもっと親身になって接したいけれど、それをできるキャパを越えているから、ある程度距離を置いてケースワークせざるを得ない、そんな雰囲気が職場にはあります。

もっと人数がいれば、寄り添って解決できるのに。

 

業務の切り分けや縦割りが強まると市役所全体ではいろいろな支援のための制度があるはずなのに、個人の業務でしか支援策を考えられないような公務員像になってしまうのかもしれません。

公務員の質の劣化とも言える状況です。

業務の効率化ばかりが求められ、集約されることによって職場が切り離されたり、 そのことで、複合的な観点でその人を支援しようという意識を持てなくなってしまっている、そんな組織になってしまっていることに危機感を抱きます。

 

今回の確定交渉で、人事評価の給与反映もしてさらなる強化が狙われました。

ケースワーカーの業務で「仕事ができる」ってどういう人なのかを考えたときに、数値として見えるのは、生活保護受給者の方をどれだけ就労開始させられたか。自立させることができたか。それが評価されるという職場の風潮もある。

実際のところ、どうしても病気で働けない人はいるし、でもその人たちに対して、自分が成果を上げるために無理な就労指導を行って、それで自分の評価を上げるということになってしまうのではないかと懸念します。

人事評価が市民のためになるのかは、イコールではないと思います。逆に、どれだけ市民のために寄り添っているかって見えにくい。そのちぐはぐな部分が僕はすごく気になりました。

人事評価制度そのものが市民と接する現場の空気感や、実際の働き方で如何に馴染んでいないか。

職員の働き方の先に住民生活があるということが見えない。そういうなかでの評価制度の活用は危険です。

 

徴収率は成果としてわかりやすいので、常に区どうしで比較されます。

一人ひとりの「人」がいて、一人ひとりのケースがあるわけで、差し押さえできるケースもあれば、差し押さえしたことで、命の危機につながるようなケースもあります。

そういうことをすべて取っ払ったうえで徴収率だけで比べられてしまいます。

「コロナの後遺症でずっと体調が悪い」という人も最近増えています。

そういう人に対して、「全部払ってもらわんと困りますよ」とはなかなか言えません。

「どうしても困っていたら一緒に生活保護の窓口まで行くので来月までちょっと考えてみて」って声かけするんです。

個人が分断されている状況で、自分の置かれている状況が分からない人もいます。

「まだ頑張れるはずだ」「まだ大丈夫です」と。

頑張って働ける要素がある人だったら「じゃあ頑張ってみて」って言えるけど、病気をされていたり、高齢者の場合は、「生活保護を一時的にでもいいから受けて体調戻しましょう」と言って窓口に一緒に行きます。

「体調が戻って元気になって生活保護を外れることになった」と報告しに来てくれる人もいますが、Dさんが指摘するように、就労開始の件数を追求するあまりに、無理な就労指導で負担を強いることになる、そのことが徴収率至上主義のような状況と重なりました。

 

まさに「誰のための仕事なのか」ですね。

私たちの仕事は、市長や一部の奉仕者ではなく、全体の奉仕者であり、住民の福祉の向上のためにあるはずなのに。

 

「自分の業務はここまで」と割り切って仕事をしている人も多くて、それがいまの体制のなかでは悪いことだとは言いきれない現状があります。

今日、みなさんの話を聞いて、すごく市民の相談に対して感情を持って接していて、心の底から市民にとって何が望ましいのかを考えられることが大切だと思いました。

僕にとってはそれが働くうえでのモチベーションになるし、すごく勉強になりました。

 

私は保健師一筋、現場一筋で定年を迎えましたが、やっぱり現場にしがみついていたいんです。

人と接するってときには挫折や嫌なこともあるけど、すごく面白いし、楽しいし、その思いがあってやってこられた。

「人が好き」という思いだけはずっと持ちながら、楽しく仕事がしたいし変えていきたい。

 

実は、徴収業務って初めは嫌だと思っていました。暮らしがしんどいのに払えって言うのは辛いです。

でもずっと仕事を続けていると、いろいろなテクニックや引き出し、知識を身につけて、その人にあった対策を考えられるようになります。

長い時間をかけて相談にのった市民の方の中には「いろいろ相談にのってもらって、払い終えることができた。ありがとう」と言って、卒業していく人もいます。

たまに区役所に来庁されたときに、手を振って「元気?」と声をかけてくれる。

そんな時には、やりがいがある仕事だとしみじみ思います。

 

河川整備課は、大雨が降ったときの排水機場の操作や運転監視業務を委託しています。

以前、大雨が降った時に、その委託業者が十分に対応できずに排水機場が機能せず、地域一帯が浸水してしまう事故がありました。

委託して、安くでその業務をさせることにはリスクがあります。委託したからといって、京都市の責任がなくなるわけではありません。そのことを考えると、行政の仕事とは何なんだろうかと。

委託することによって、本来、市民の生活や福祉を守るはずの業務が利益追求する業務に変わっているのではないかと思います。

一方で「委託すると仕事が減るから良い」というような話もあります。組合が委託に反対すると、「仕事が減って楽になれたはずなのに組合が反対するからしんどい状態になっている」という声もあります。

でも、それって自分たちの働き方が、市民のためになる仕事だという意識がなくなり、「公務は民間がやっても一緒」みたいな感覚になってしまうのではないかと。

私たちの仕事とは何か、公共性や、民主的自治体労働者論の観点で、自分たちの本来あるべき仕事を捉えなおすことができる良い機会になりました。