2017年02月03日
【ザ・しょくば】2017.1.21
昨年末、とあるバス会社の労働組合がストライキをしたことが話題になった。このストライキに対して賛否両論の意見が聞こえてくる。ストライキは憲法に保障された国民の権利であることは言うまでもないが、それだけではないと思う。▼今の日本にはモノやサービスがあふれているが、それを実現しているのはまぎれもなく労働であり、そのことを再確認するのがストライキではないだろうか。働いている労働者の奮闘があってはじめて、便利で不自由のない生活を送れているはずであるが、そうしたモノやサービスは、多くの労働によってつくりだされていることは非常に見えにくい。そして、ブラックな働き方が社会問題となっている昨今、提供される商品の価値に含まれている労働力の価値が、過小評価されている。ましてや、生活できないほどの低賃金や健康を保てないほどの過重労働であってはならない。▼昔はなかったさまざまな商品が世の中に出回るたびに、人々は便利になって「ありがたい」と思っていたが、時間が経つにつれて「あたりまえ」となっていった。「ありがとう」の反対語は「あたりまえ」である。▼「あたりまえ」が労働の地位を低くしてしまう。働くことは大変である。その大変な労働があって社会は成り立っている。「ありがとう」を言おう。それが、労働の社会的地位を高め、ストライキの必要性を認識する第一歩ではないだろうか。(ストイックビッチ)