2020年09月02日
【ザ・しょくば】2020.9.1
最近職場で組合活動について組合員から質問を受けた。他の労働組合と交流するのは分かる、社会保障について発言・行動するのもまあ分かる、しかし戦争反対を訴える団体と何故交流するのか、と。この場を借りてまずこう回答したい。労働問題の発生も、戦争の発生も、資本主義経済の「ゆがみ」が原因で、これは科学的認識(世界恐慌やリーマンショックを起こしたのも、「残虐なる爆弾」を最初に開発し、唯一「しきりに無辜を殺傷」したのもアメリカだ、という事実は、偶然ではなく必然)なのだから、同じ敵と対峙する同志の連携は当然だ、と。▼科学的認識は、対象のある側面に限定される。科学性を犠牲にして本質を回答するなら「人間らしさ」が剥奪されることへの危機感を共有するから、となる。▼「人間らしさ」とは何か、定義ができる知性など私は持ち合わせていない以上、先に述べたように非科学的になるが、何とか表現したい。私は2年前広島平和記念式典に参加、学習したが、そこで恐怖したのは、「残虐なる爆弾」が「無辜」に浴びせた熱線以上に、「殺傷」を免れた人たちが浴びせた、「人間らしさ」を剥奪する視線だ。そして同じ視線は、あらゆる差別やハラスメントに必ず見出せる。最近では、COVID感染者に対する視線だ。「人間らしさ」とはこれらの視線から守られるべきもの、そしてその一翼を担うのが組合活動なのだ。(go to peace)