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2014年07月14日

【ザ・しょくば】 7月11日付

▼「ノー残業デー」という日があるが、職場は時間外といえない〝活気〟に溢れている。「帰れる雰囲気にない」とはまさにこのことを指す。時間外にも関わらず、電話は5回線全てうまっている。他の職場でも、新採も当然のように残っている。この中で何人が超勤申請しているのか疑問だ。▼私自身、異動して約半年間、月60時間以上の超勤を続けた。終わりの見えない仕事で、精神的にも肉体的にも追い詰められ、日に日に言いようのない虚脱感や不眠に襲われ、仕事も思うようにできなくなった。休みの日も仕事のことが頭から離れず、何もできず泣いた。職場の屋上に一人でいたとき、飛び降りたら楽になるかなと思ったこともある。振り返れば、「おかしい」と分かるのだが、その時は分からない。余りに見かねた家族が、病院を予約してくれて「精神疾患」だと診断された。通院は1年半近く経つ今も続く。例えば、私が残業のために費やした時間や休日に何もできず泣いていた時間、今も続く通院の時間を家族や自らの成長の時間、労働組合の活動の時間として使っていたなら、どれだけ人間らしい生活が送れただろうか。「時間は人間の発達の場」というがまさにその通りだと実感する。同時に「死」を考えるような働き方がどれだけ異常か考えなければならない。▼すべてを仕事に投げ出す生活、仕事原理主義とも言うべき働き方を問う必要がある。
(とある青年)